神経のシステムには入口と出口があります。主要な入口は感覚システムです。感覚システムは、体の外からやってくる情報や体の中の情報を神経が扱える電気の情報に変えます。主要な出口は運動システムです。出口では、筋肉の収縮を引き起こすことによって外に働きかけたり体の中の臓器を動かしたりします。神経システムの出口では、分泌腺からの分泌を引き起こすこともあります。
この「脳の世界」の中の「神経細胞はいくつ」で神経細胞の数の話をしましたが、サルやヒトの脳には沢山の神経細胞があります。この沢山の神経細胞が入口(感覚)と出口(運動)の間にあって複雑な処理をしています。例えば、ピッチャーの投げたボールを見てバットを振って当てようとするとき、ピッチャーの動作や飛んで来るボールを見てバットをどのように振るかをコントロールします。目からの情報を使ってボールの軌跡を予測し、手や足や肩の筋肉を収縮させる強さとタイミングを微妙に操作します。しかも、その動作を短時間で行う必要があります。また、試験問題を解いて回答を書くときなどは、しばらく「考え」てから動作に移ることもあります。このように私達の日常の動作は入口と出口、感覚と運動の間に複雑な神経回路が介在しています。
しかし、入口と出口の間の神経回路は網の目のように絡み合った一様なブッラク・ボックス(中身の見えない黒い箱)ではなく、単純な回路から複雑な回路へと階層的な仕組みがあります。その中で最も単純なものはシナプスを1つだけ間に挟んだ単純な回路です。ヒトでもそんな単純な仕組みが運動のコントロールのシステムの中に組み込まれています。この仕組みは骨と骨の間に付いている筋肉(骨格筋)が引き延ばされると収縮する伸張反射と呼ばれる反射です。
明治時代の日本には脚気(かっけ)という病気が多くありました。ビタミンB1の不足が原因であることが後に明確になりましたが、当時は脚気菌による伝染病説が有力視されていました。特に陸軍は米食を重視していたために脚気の患者が多く、日露戦争での死者の4分の1が脚気による死亡であったと伝えられています。脚気では、知覚障害や運動障害などの症状を引き起こします。様々な検査のなかで、最も簡単な検査方法として定着していたのが、膝蓋腱(しつがいけん)反射と呼ばれる反射のテストです。膝蓋腱反射は膝の下をハンマーでたたくと足が跳ね上がる反射です。脚気になるとこの反射が強まったり、逆に消失したりします。
足の上半分(大腿)の前側にある大腿四頭筋は、大腿の骨(大腿骨)と下腿の骨(脛骨)との間に付いていて、足を伸ばす働きをしています。膝の下の脛骨の上にこの大腿四頭筋の腱が付着するので、膝の下を叩くと大腿四頭筋が引き伸ばされます。筋肉の中には筋肉の伸び縮みを感知する感覚器官(筋紡錘)があって、筋肉が伸ばされたという情報を脊髄に送ります。この情報は同じ筋肉、この場合は大腿四頭筋を収縮させる神経細胞に直接接続します。このように、伸ばされた筋肉が速やかに縮むように働く仕組みが脊髄の中にあるわけです。この仕組みによって伸張反射が起こります。このとき働く感覚から運動までの神経回路は、感覚細胞と運動細胞とその接続点であるシナプスという非常に単純な回路となります。日常的にはこの反射のお陰で、私たちが立っているとき、揺れる姿勢が無意識の内に微妙に調整されています。
図1 伸張反射の模式図
伸張反射はシナプスを1つだけ挟んだ反射である。筋肉の中には筋肉が伸びたことを感知する受容器(筋紡錘)があり、筋肉が伸ばされると感覚神経を通じて脊髄に信号を送る。感覚神経の細胞は脊髄の後方で脊髄の外にあり、感覚情報は後方(後根)から脊髄に入る。感覚神経は、情報を受け取ったのと同じ筋肉を支配する神経細胞(運動細胞)に直接シナプス接続し、運動神経を介して筋肉を収縮させる。