小胞体ストレス(しょうほうたいストレス, Endoplasmic reticulum (ER) stress)とは、正常な高次構造に折り畳まれなかったタンパク質(変性タンパク質; unfold protein)が小胞体に蓄積し、それにより細胞への悪影響(ストレス)が生じることである。小胞体ストレスは細胞の正常な生理機能を妨げるため、細胞にはその障害を回避し、恒常性を維持する仕組みが備わっている。この小胞体ストレスに対する細胞の反応を小胞体ストレス応答 (unfold protein response: UPR) といい、その情報は小胞体ストレスシグナルによって伝達される。変性タンパク質が過剰に蓄積し、小胞体ストレスの強さが細胞の回避機能を越えると、細胞死(アポトーシス)が誘導され、神経変性疾患などさまざまな疾患の原因となると考えられている。
小胞体ストレスの原因となる変性タンパク質は、遺伝子変異、ウイルス感染、炎症、有害化学物質などにより生じる。変性タンパク質は小胞体ストレスセンサー(IRE1alpha, ATF6, Perk が知られる)によって感知され、小胞体ストレス応答を誘導する。小胞体ストレス応答は、翻訳量を低下させることで小胞体におけるタンパク質の折りたたみを軽減したり、分子シャペロンの量を増やすことで折りたたみ機能を向上させたり、変性タンパク質の除去効率をあげることで小胞体ストレスを取り除くよう働く。小胞体ストレスがこのような細胞の修復機能を越えてしまった場合、アポトーシス誘導因子が活性化され、細胞はアポトーシスを実行する。
小胞体ストレスによる細胞死が組織の恒常性を乱すほど起こった場合、さまざまな疾患の原因となる。たとえば、膵臓ランゲルハンス島のベータ細胞が細胞死により多数失われてしまった場合、糖尿病を発症する。ニューロンで生じた場合、神経変性疾患や双極性障害などが引き起こされる可能性がある。
参考文献 [編集]
浦野文彦(企画)、実験医学2009年3月号 Vol.27 No4. 特集:小胞体ストレスと疾患
Kim, I., Xu, W. and Reed, J. C.: Cell death and endoplasmic reticulum stress: disease relevance and therapeutic opportunities. Nature Review Drug Discovery 7: 1013-1030, 2008
Ron, D. and Walter, P.: Signal integration in the endoplasmic reticulum unfolded protein response. Nature Review Molecular Cell Biology 8: 519-529, 2007
記者発表一覧
筋萎縮性側索硬化症(ALS)の病態進行の分子メカニズムを解明
筋萎縮性側索硬化症(ALS)の病態進行の分子メカニズムを解明
http://www.u-tokyo.ac.jp/public/public01_200520_j.html
概 要
世界的神経難病の一つである筋萎縮性側索硬化症の進行をくい止める治療薬の標的分子の候補として、Derlin-1という細胞内小胞体の機能維持に関わる分子と、ASK1というシグナル伝達分子を明らかにしました。
内 容
<筋萎縮性側索硬化症治療の現状>
筋萎縮性側索硬化症(Amyotrophic lateral sclerosis;ALS)は、運動神経が特異的に障害されるきわめて重篤な進行性神経変性疾患です。日本国内の罹患者数は約7000人。現在の治療法は、リハビリテーションによる筋力低下予防と、グルタミン酸神経終末放出抑制剤による一時的な進行遅延だけで、ALS病態分子メカニズムに基づく根本的な治療法はありません。家族性ALSの原因として1993年に発見されたCu/Zn superoxide dismutase 1(SOD1)の遺伝子変異は、家族性だけでなく孤発性ALSの病態解明にも飛躍的な進歩をもたらすと期待されていますが、未だ治療標的となる分子は明らかにされていませんでした。
<研究手法と成果>
東京大学大学院薬学系研究科 一條秀憲教授と西頭英起特任研究員らの研究グループは、変異型SOD1によって引き起こされる細胞内ストレス応答を、培養運動神経細胞とヒトALSの病態をよく再現している変異型SOD1遺伝子導入マウスを用いて検討しました。その結果、以下のことが明らかとなりました。
・ 変異型SOD1タンパク質は、細胞内小器官である小胞体の機能維持に重要な分子「Derlin-1」にきわめて特異的に結合し、その分子機能を低下させ小胞体ストレスを誘導することが明らかになりました。
・ 変異型SOD1による小胞体ストレス誘導は、細胞内ストレスシグナル伝達分子「ASK1」を活性化し、運動神経細胞死を起こしました。
・ 変異型SOD1とDerlin-1の結合を抑制する12アミノ酸ペプチドを発見し、これによって、小胞体ストレス、ASK1活性化および運動神経細胞死を防ぐことに成功しました(図1)。
・ ALSモデルマウスのASK1遺伝子を欠損させることによって、病気の進行を著明に遅延させ、マウスの生存期間を約1ヶ月延長しました(図2)。このことは、ASK1の活性化が病気の進行に深く関わっていることを意味しています。
以上のことから本研究は、ALSにおける神経細胞毒性のメカニズムとして、変異型SOD1タンパク質がDerlin-1と結合することで小胞体ストレスが惹起され、それによって活性化されるASK1が運動神経細胞死を引き起こしていることを、ALSモデル動物を用いて実験的に証明したことになります。
<今後の期待>
本研究で得られた知見は、ALSの神経細胞毒性の原因となる新規分子メカニズムを世界ではじめて明らかにしたものです。最近、小胞体ストレスの関与は家族性ALSのみならず、孤発性ALSにおいて報告されており、全てのALS患者さんの治療薬開発につながる研究成果として有望であると考えられます。今後の研究の方向性としては、変異型SOD1とDerlin-1の結合およびASK1活性化を抑える低分子化合物の探索によって、運動神経細胞死を防ぐことで有効なALS治療の開発につなげていきます。
発表雑誌
「ジーンズ アンド ディベロップメント(Genes & Development)」
解禁日時
2008年5月31日午後5時(米国東部時間)。論文は、2008年6月1日出版。
日本時間 6月1日午前6時 (新聞は6月1日 夕刊以降)
問い合わせ先
東京大学大学院薬学系研究科 生命薬学専攻 細胞情報学教室
教授 一條秀憲
用語解説
SOD1(Cu/Zn superoxide dismutase 1):細胞内で発生する有害な活性酸素であるスーパーオキシドを解毒する反応系を触媒する酵素である。家族性ALSでは、この遺伝子に変異が見られる。全ALS患者のうち5?10%が家族性で、そのうち約20%がSOD1遺伝子変異によるといわれる。これまでに100種類以上の変異型が報告されている。
小胞体ストレス:小胞体は、主に脂質合成、カルシウム貯蔵、分泌および膜タンパク質合成の場としてきわめて重要な役割を担う細胞内小器官である。細胞に、虚血、熱ショック、遺伝子変異、アミノ酸飢餓などのストレスがかかることにより、小胞体を通過して合成されるタンパク質の立体構造異常が高頻度で起こり、小胞体内腔に不良タンパク質が蓄積する。その結果、小胞体受容体の活性化を介して細胞内シグナルが伝達される。
Derlin-1:小胞体ストレスを回避するためのメカニズムの一つ「小胞体関連分解」に必須の分子として同定された小胞体に存在する4回膜貫通型のタンパク質。p97をはじめとする様々な分子群と複合体を形成し、小胞体内腔から細胞質側への不良タンパク質の逆輸送に関わる。
ASK1(Apoptosis signal-regulating kinase 1):活性酸素、TNFなどの炎症性サイトカイン、細菌毒素、カルシウム、小胞体ストレスなどによって活性化されるストレス応答性リン酸化酵素の一つ。ASK1の下流で、細胞死や分化などを誘導する。
添付資料